第三節 争いと決意と
十四歳の誕生日を迎えた菊が軍の名誉連隊長へ拝命されることが決まり居城内は慌ただしい日々に追われていた。数日後、書類や面会の通常業務に加え書類手続きも終わりようやく落ち着きを取り戻した日の夜。
「ギルベルトに報告があります」
一日の終わりの僅かな時間をのんびりと自室で過ごしていた菊が姿勢を正し真剣な顔でギルベルトへ告げる。そのただ事ではない雰囲気を察して自分もまた姿勢を正す。琥珀が一度瞬いた。
「私が名誉連隊長に任命されることは貴方も知っていますが、来期よりドレスデン軍養成学校へ入学することが決まりました」
深呼吸の後、一気に紡がれた言葉に視界が揺らいだ。
「連隊長への任命も私が卒業してから行うとの変更もしています」
「却下だ。軍学校だと? 万が一を考えろ。暗殺、事故死、敵に殺してくれといくらでも機会を与えるだけだ。その身は一般人とはわけが違う」
幼少の暗殺事件以来、ほぼ無いとはいえゼロではない。金の子は商売道具にも金持ち共のステータスにもなる。危険になると分かっていて無闇に外へ出させるわけにはいかない。
「……ええ、ええ。貴方が反対することはわかっています」
「ならば何故――」
ギルベルトの拒絶に閉じた瞼をゆっくりと開く。双眸の瞳の色は変わらず、けれどその奥に力強い意志があった。
「私がただのお飾りでいられるほど素直で従順なら良かったのですがね?」
「…………」
「王族に産まれても運命の子であるが故に他の兄弟と同じ環境ではいられぬ私を、国は今まで扱い損ねていました」
生まれによっては国を滅ぼすほどの影響力を持つ運命の子。王国にとってその最悪のカードが菊だ。王族であるが故に満足に暮らせどその裏には死が這い寄る。殺そうと(不幸に)すれば王国へ災厄(呪い)が降りかかる。かつての王国がそうであったように――
「ですが長く続く休戦が、いつ破られるかもわからないこの状況で利用しようと言うのです。安寧と祝福の象徴として。そして時がくれば戦の神として」
戦争が、頭によぎる。ギルベルトの心の奥深く埋め込んだ過去。供えられた白い百合で埋まる棺。黒の軍服を数多の勲章で飾りながら眠るように納められた兄の――
「ならば私が、それを利用しよう、と――」
震える両手をあたたかな手が包む。触れられた場所から伝わる熱がギルベルトの意識を現実へと引き戻した。
「王族の教養を受けてきたということで在学は3年から2年に短縮し、フェリシアーノとロヴィーノも共に学びます。私の護衛として常に二人がいますので暗殺も事故も心配ないでしょう」
「……あそこは全寮制だったはずだ」
動かない頭でようやく絞り出した言葉は震えていた。
「この城から通います。馬車なら一時間ほどのはずですから可能です。送迎をお任せしますね」
身を乗り出した菊がギルベルトの身体を抱きしめる。その力は優しく、けれど自分を覗く瞳はなおも深い。
「それでも納得できず嫌ならば、今すぐ私を拘束してこの部屋に監禁しなさい」
この歪んだ心を見透かされているのだと思った。歳月を重ねる度に成長する姿を大事にすればするほど心の一部がどうしようもなく飢えていく。
「…………」
生活も秘密もその全てを自分と共にしていた菊がはじめて分かつ。反対されることを予想して用意された案は到底安全とは言えない。けれど。
「貴方に黙っていたのは悪いと思っています。けれどこの平穏が崩れた時、戦場に駆り出された時に付け焼き刃の知識と浅い経験で乗り越えられるほど戦場は甘くないのは貴方が一番ご存じでしょう?」
兄の死顔が、菊と重なる。それだけは――
「お前が私を庇って死ぬのを、私は望みません。それが従者の使命でも、許しません。なにがあろうと生かします」
互いの息がかかるほどの距離で双眸の黄金が揺れる。その容姿と相反して低く紡がれる声が自分の望みを砕いた。
「たとえ汚名を着せられ蔑まれようとも、貴方も私も、老いて死ぬのです」
「っ…………」
その光が眩しくて、俯く。閉じた瞼には消えようのない光が宿り、涙が静かに頬に伝った。
「……ギル?」
苦痛に顔を歪ませたまま何も言えない自分を細い指が包み込む。
「……一瞬、目の前が真っ暗になった」
その手を取り重ね、祈るように瞼を閉じ唇を寄せる。
「ごめんなさい。こうでもしないと貴方はきっと納得しないと。でも急に告げるのは今回でやめにします。傷つけてしまいましたね……」
空いた腕が首へと回り引き寄せられる。柔らかな唇が涙の跡を拭った。
「顔を、見せてください。ギル……貴方の震えが止まるまで、どうかこのままでいさせてください」
この見えない傷の痛みが収まるまで菊はただ静かにギルベルトを抱きしめた。
***
「後方部隊が未だ帰ってこない――?」
名誉連隊長へと任命された菊の執務室。つい先日の任務を終え帰ってきたばかりの書類を整理していた菊はその言葉に耳を疑った。
「ええ、到着予定時日から三日以上経過しています。付近の街に駐留していないか連絡をとりましたがそれらしい部隊はいないということです」
「……それは、行方不明……ということですか?」
「――……連絡不通、そうとみていいでしょう」
末弟の護衛部隊といえど鍛え上げるのはあのギルベルトだ。その練度は王国の精鋭部隊が相手でも引けを取らない。それが連絡を取れない状況に陥るとしたら考えられるのは戦闘により壊滅状態になったか、あるいは――
「………………」
ふさぎ込む菊を横目にローデリヒが地図を広げる。
「我々が帰還する際は降雪に多少時間を取られただけですが、その後天候が悪化した可能性があります。あそこは山岳箇所が多く迂回するにも困難かと」
「………………」
ローデリヒが指さす先には数カ所にばつ印と文字が走り書きされている。その地図を菊も野営中何度も見ていた。
「……部隊はギルベルトとヴァルガスでしたね。ギルベルトはともかくヴァルガスの方で何かあったのかも知れません」
ヴァルガス――甘い栗色の髪が美しい二人の兄弟は菊の友人であり護衛だ。軍学校を二人に護られ通っていたので彼らの実力は知っている。普段は弱気に泣くばかりだがいざというときは二人で立ち向かえる強さがある。そしてフェリシアーノの持つ金の瞳は超人的な直感を彼に与えていた。命に関わる危険を彼が気づかぬはずがない。
「エリザベータを捜索に向かわせます。――準備は?」
説明するローデリヒの言葉に顔を仰ぐ。扉の前ではエリザベータが佇んでいた。
「いつでも出動可能です」
「……菊?」
自分の思考が追いつかないまま事態は淡々と進んでいく。その現実に己の力量が未熟だと思い知らされる。
「……いえ、なにも。エリザベータ、お願いします」
悔しさに唇をかみしめる。早く彼らに追いつける程の実力をつけなければこの身は護られてばかりだ。
出発しようと扉へ手を伸ばしたエリザベータが止まる。疑問を口にする前に扉が早急に叩かれた。
「何用です」
「ほ、報告をっ!! バイルシュミット隊の伝書鳥が帰還しました!!」
エリザベータの問いに息を荒げたまま騎士が答える。
「こちらへ」
開いた扉の先では汗を滲ませたままの騎士がその手に黄色の羽の小鳥を包んでいた。小鳥の足に付けられた小さな書簡筒。
「黒鷲印(ギルベルト)の書簡筒……間違いないでしょう」
小指ほどの書簡筒に収められた小さな紙片を取り出し目を走らせていたローデリヒの顔色が曇る。
「『バイルシュミット隊、ヴァルガス隊は敵奇襲を受け現在洞窟内にて潜伏。なお、負傷者多数。負傷者は――』」
冷静に読み上げられる内容に顔が歪む。駆け寄りのぞき込んだ紙片に綴られた文字は―
「……ギルベルトの、文字じゃない……」
その事実に心臓が早鐘を打つ。落ち着こうと息をゆっくり吸い込むが余計に焦燥してしまう。
「負傷者はミルコ・エック、ウルリヒ・フェルステ……軽傷5。エッケハルト・フォイエルバッハ、アーダルベルト・シュトイヤー、中傷2。ギルベルト……」
「ッ――……!!」
エリザベータと騎士が驚愕する。
「……ギルベルト・バイルシュミット、重傷1」
息が、止まった。
「……重、傷……ギルベルトが」
声が震える。信じたくなかった。
「サインはフェリシアーノのものです。洞窟の位置が暗号で書かれていますね。場所は―」
今では資料もなく解読困難な古ラテン語で綴られた文字を二人が読み解いていく。万が一の際の暗号をヴァルガス兄弟は自分たちに教えていた。
「では報告を最優先に」
「――Alles klar.」
敬礼の後、足早にその部屋を発つ。エリザベータと騎士がローデリヒに見送られるのを自分はただ眺めていた。
「……心配なのは分かります。あのお馬鹿さんが怪我を負う事態ですから」
眼前にローデリヒが立つ。自分を見つめる霞の瞳は心配に細められていた。
「ですが私達の役目は待つことです。――貴方が行ってもできることはありません。わかりますね?」
「……はい」
「よろしい。それでは今日はもう遅いので眠りなさい。眠れなくても身体を休めるように、いいですね?」
人形のように動かない菊へローデリヒは成すべきことを命ずる。回らない思考はただそれを実行するために体を動かす。
「……ええ。おやすみなさい、ローデリヒ」
「おやすみなさい。菊」
扉を出れば薄暗い廊下が続く。瞬きをする度に色褪せていく景色を菊は歩んだ。
***
エリザベータが発ち二週間。日に日にその顔色を青くしやせ細っていく菊がついに倒れたとの報を聞き寝室に駆けつける。ベッドに横たわる菊の姿が痛ましく、ローデリヒは未だ戻らぬ幼なじみを胸中で非難した。
「ギルベルトが帰ってきても貴方が倒れていてはどうするんです」
「……すみません」
柔らかな枕に広がる髪は艶を失い、血色を失った顔の瞼の下には濃い隈が広がっていた。
「……眠れませんか?」
侍女たちの話によれば口にする量は少なくなったが食べる意志はあるようでフランシスが柔らかく食べやすいものを出しているという。夜もきちんと自分のベッドへ入るのを護衛が確認する。不安に苛んでも身体が疲れれば自然と瞼は落ちるはずだ。
「……夢を、見るのが怖いんです。予知夢ではないか……気が気でなくて」
「見た夢が必ず起きるとは限りません。悪夢を盲信してはその通り(結果)になってしまうだけですよ」
顔を近づけなければ消えてしまうほどの声で吐かれた不安をローデリヒは打ち消すように優しく答えた。
「貴方はただ信じて待ちなさい。ギルベルトの帰りを」
「はい……」
ゆっくりと閉じられた瞼を見つめる。このまま衰弱していけば命に関わるだろう。増えた問題の対策を考えていると小さく扉が叩かれる。言伝を受け、その報に安堵した。
「そうですか、ご苦労様です」
緊張に張りつめていた日々がこれで終わる。
「ローデリヒ?」
再びベッドへ立てば身を起こそうとした菊を制する。
「エリザベータから連絡がありました。ギルベルト達と合流しこちらに向かっているとのことです」
霞を見つめる琥珀が揺れる。安心させるよう報告を続けた。
「生きていますよ。怪我はやはり大きいようですが命に問題ないようです」
***
古城に馬車が次々と到着し待ちかまえていた衛兵や侍女があわただしく動き回る。ローデリヒとフランシスを携える菊へ足早に一人の騎士が駆けた。
「バイルシュミット隊、ヴァルガス隊、帰還いたしました」
「全員の帰還、喜ばしく思います。報告は後に。今は怪我人を休ませてください」
労うように声かければ騎士は己の役割を全うすべく再び馬車へと駆けていく。視線を泳がし、目的の人物を捜す。
「ッ――!! 隊長、動いては――!!」
大柄な騎士に制されても歩みを止めず、身体の至る所に包帯を巻いたギルベルトがゆっくりと己の足でこちらに向かってくる。
銀の頭に包帯が巻かれ深紅の瞳がひとつ隠れている。右腕は大きく包帯で覆い胸に下げられ片足を庇いながら近づく姿を瞬きせず見つめた。ギルベルトが菊のもとに辿り着く。眼前に立つギルベルトの姿を無言のまま睨みつけた。
「……帰還した」
「――ッ……」
一ヶ月ぶりに耳にした声に視界が歪む。
「――っ……もう、ギルなんて……」
熱くなった瞼から涙がぼたぼたと溢れる。罵ろうとした言葉は出てこず、息をするのに必死だ。
「……知りません、からっ。わ、私が、どれだけっ……心配したか……っ」
「ああ……すまない」
声が震えうまく言葉が出せない。謝罪の言葉は聞きたくない。聞きたいのはひとつだけだ。
大粒の涙で濡らす頬をギルベルトの左手が触れる。
「……菊」
「ッ――……!!」
待ち望んだ姿に、求めた己の名に、視界が鮮やかに甦る。衝動に耐えていた身体が動く。その広い胸に飛び込めば優しく抱きとめられギルベルトの鼓動が伝わる度に菊の身体にも命が伝った。
「――おかえりなさい、ギルベルト。お前が、生きててっ……良かった…」
***
ベッドに敷き詰めたクッションに上半身を預け、自分を抱きしめたまま離れない菊をその左腕で囲う。窺うような視線を寄越すローデリヒを一瞥しゆっくりと菊の頭を撫でた。
「……よく眠っている。この分だと朝まで起きねぇよ」
「そうですか、では――」
ベッドを中心に並べられた椅子へ座る各々の顔を仰ぎ見る。
「報告を。あなた方が何故オスマン・トルコ帝国に居たのか理由も含めてお願いします」
予想していた問が投げかけられる。王国の端に近い場所にいたとはいえ国境を越えかつての敵国に身を寄せていた理由。
「順を追って説明する。まずは……敵襲からか」
横たわる己の足に広がる地図を手に取る。
「前方部隊があの山麓部分を渡り、翌日俺たちが通過しようとした時にはすでに吹雪いて足止めを食らっていた」
本来巡るルートを指でなぞり大きくばつを描く。そして走り書きされたばつの場所を叩き深紅の目を細めた。
「別ルートの山脈を越えようと試みたがあそこだけ寒波の影響で局地的豪雪地帯となるらしい。比較的ましな道を割り出し翌早朝に強行中敵の急襲を受け応戦。雪崩に巻き込まれ付近の洞窟内で待機していた」
そこまでしゃべり、ギルベルトがエリザベータを見据える。
「数日経過したある日、サディク・アドナンの私兵隊がやってきてそのままスルタンの保護を受け、エリザベータと合流した」
「……敵に心当たりは?」
「オトフリート・シュタイネルを覚えているか? 南方辺境の」
「ええ」
忘れもしないだろう。あの男はギルベルトを懐に、菊を亡き者にしようとした男(豚)だ。
「第四王子の臣下共々、奴も処刑されたが奴の娘がオスマンに嫁いでいた」
「……」
「父親を処刑された原因の俺たちを憎み、復讐の機会を窺っていた―……この十年をな」
十年。その歳月は余りに長く。
「……自らの私欲のせいで自滅したと言っても残された者にとっては何の制止にもなりません、ね」
理由が嘘でも事実であっても家族を失ったことには他なら無い。狂った道を正す人間が彼女の周りにはいなかった。ギルベルトが静かに菊を見つめる。
「第十三王子が名誉連隊長として各地を巡回すればその位置も掴みやすくなる。その女(奴ら)にしたら今回の遠征は唯一のチャンスだった。だが、たとえ雪中だろうが砂漠だろうが傭兵(ごろつき)ごときに俺たちの部隊が遅れをとることはない」
ギルベルトがかせる訓練に付いてこれる者だけが菊の護衛騎士となれる。その合格率は恐ろしく低い。
「本隊が進路を塞いでるなか峰に配置した別働隊が人為的に雪崩を起こし、敵味方諸共を巻き込む。万が一生存していた場合も別働隊が消す手配だったんだろうが」
「別働隊は分散したヴァルガス隊(兄ちやん)で対処したよ」
静かに寝息をたてる菊の寝顔を笑顔で見ていたフェリシアーノがさらりと答える。
「……雪崩には材木と岩が混在していた。対峙した時のあの女は喪服だったぜ」
猛吹雪の中、真っ黒のドレスを身に纏いギルベルト達の前に現れた姿を思い出す。黒のヴェールに隠れた表情。声。最期の顔。亡霊といってもいい。
「自らを囮にしてまでも……いえ、自殺だったのでしょうか。それにしてもヴァルガス隊を分散させてよく雪崩に巻き込まれませんでしたね」
「あ、そこからについては俺が説明するであります」
普段は陽気に閉じられた双眸を開き、フェリシアーノが手を挙げる。彼に視線が集まる。
「えっと、今回の急襲を実は俺が何度も夢見ていて」
「……予知夢……金の子の能力、ですか」
「うん。夢の中身は少しずつ違うけど……敵の規模や場所、雪崩に巻き込まれて流れ着いた洞窟の場所……部隊の損害規模。色々と……」
夢とはいえいつ終わるか分からないほど繰り返されるそれによく病むことなく正気を保っていられたものだと感心する。
「その中でどうすれば最善の結果になれるか――。急襲を知ればまた別の手段で部隊は襲われる……菊が、命を落とすこともあった」
「――それは……」
「うん。それは〝絶対起こしちゃいけないこと〟だから俺はこの選択を取った」
淡く輝く金の瞳がその存在を主張する。
「雪崩が起きるのはもうほとんど確定未来だったから一番被害が少ない方法……あの女性が合図した直後ギルベルトに叫んだんだ。〝雪崩が来る、全員纏まって掴まれ〟って。ギルベルトに雪に混じる木や石を対処してもらうのが一番損害が低くて……」
「『銀の子』の超人的な反射神経と力があればこそ、ですね」
それでもフェリシアーノが選択したこの結果は犠牲はゼロではなく。それにギルベルトが怪我をして一番傷つくのは菊だ。
「雪崩に流されずその場所に運良く留まれても別働隊の対処まで追いつけないのなら、こちらも部隊を用意すればいい。気取られないよう兄ちゃん達には最後方にいてもらって。流された先で少しでも治療できるよう準備もしてて、あとは――」
「手紙の筆跡がギルベルトでないのは?」
ギルベルトは本来左利きだ。負傷したのが右腕なら影響はなかったはずだ。
「そのときは俺がまだ動けなかったからだ。怪我による発熱、失血により意識もろくになかった。付近を飛んでいた伝書鳥(小鳥)は無事だったため送った」
「……オスマンが何故、そこにいたのでしょう」
ことの顛末を説明されてもやはりそこにいきつく。今回の遠征は国内にその話が流れてこそいれど隣国まで噂されるほどのものではない。この国の動向を窺っていたとしても向こうにとっては何の影響もないことだろう。それがスルタンの耳に届いていたとは考えにくかった。
「向こうにも金の子の予言があったらしい。スルタン勅命の精鋭隊が迎えに来て俺達を治療施設に護送。付近で捜索していたエリザベータも連れてこられたが極秘施設のため連絡は限定されていた」
ギルベルトの言葉に腑に落ちる。オスマンの金の子。それはスルタン自身に他ならない。
「今回のことはオスマン帝国(サディク)からしたら内々に処理したいだろう。……余計な火種だ」
「ええ。アドナンには感謝をしなければ。あの日(菊へ)の恩返しにしても大きすぎますから」
過去にこの国が敵対していても構うことなく菊はサディクを助け、彼はその恩を忘れずにずっと過ごしてきたのだろう。審判の一族とはいえ義理堅いその人柄とあのはつらつした表情が浮かぶ。これでひとまず話は繋がった。
「色々とまだ頭の整理が追いつきませんがまずはいいでしょう……久しぶりに緊張した日々を過ごしました」
「ヴェヴェ!! 俺も疲れた~。ゆっくり休みを貰うであります!!」
張りつめた空気が離散し、ようやく訪れた休息にフェリシアーノは花をとばし喜ぶ。
「……おい。ローデリヒ」
「なんです?」
「お前がいながらこいつの現状はどうなってやがんだ」
ギルベルトの腕の中、今でこそ穏やかに眠っているがその顔には不眠の跡がくっきりと写る。帰ってきたときのあの泣き顔を思い出す度に今回の事故と自分の不在がただ悔やしい。
「どうもこうも本人が休息をとらないのですから。私ではどうしようもありませんよ……貴方でなければ」
「…………クソッ……」
死を覚悟したつもりはない。だが自分がいない日々がこんなにも影響を及ぼすとは。
立ち去ろうとしたローデリヒが振り返る。
「二人とも暫くはベッドの住人におなりなさい。――ゆっくり休むように、よろしいですね?」
珍しくかけられる言葉にギルベルトは心配かけたのは菊だけじゃないことを知る。
「ああ……」
皆が去った寝室で菊をその腕に抱きながらゆっくりと瞼を閉じた。
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