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護衛騎士と主君
第一節-絶望と出会いと-

 憧れた景色があった。正義をその胸に抱き人々から羨望の眼差しを受け、厳しい訓練によって鍛え上げられた肉体とその剣技で国の憂いを払う。幼い日に初めてみた騎士は、誇り高い漆黒の軍服を身に纏いその大きな背中ですべてを守っているのだと信じて憧れた。自分も王国騎士団の一員となり理想の騎士へいつかなりたいと夢見ていた。
「・・・・・・・それもすべては遠き日の幻、かーー」
 眼前に立ち並ぶ騎士を眺め銀髪の青年が呟く。その顔に表情はなく真紅の双眸はただ静かに己の部隊を見つめていた。
 ギルベルト・バイルシュミット。白金のように輝く銀髪と希有な赤目の美貌を持ちながらも人としての感情は一切ない冷徹無慈悲な王国騎士団長として齢二十四年の青年の名は国内外に広く知られていた。
 等間隔に並ぶ騎士の顔は皆険しく前を見据えている。ギルベルトはその一つ一つを眺めるように視線を流す。どの騎士も厳しい鍛錬の成果によりこの場所にある。けれど一軍隊を鍛え上げた充足はこの胸に宿らず、長として軍を率いる責務も国を護る日々も、時計の針が延々と廻るようにただ過ぎていく。
 先の戦争で兄を失い、尊敬する父も後を追うように旅立った。それでもひかりを見失わないよう歩んだ先にあったものは、己が求めたものと遠くかけ離れたものだった。
 瞼を閉じれば遠い日の残照がゆっくりと静かに朽ち果てていく。


 かつて憧れた騎士団の頂点に立ちその場所から眺めた景色は幼い頃に憧れた輝きもなにもない「無」だった。



***

 王都よりはるか西南に位置する古都。隣国との国境間近のこの場所へ駐屯する部隊の視察のため拠点となってる古城へギルベルトは赴いていた。華やかな王城とは違い城壁は所々欠け、過去幾たびの戦争で襲撃を受けたままの姿はその戦いの苛烈さを訪れる者へ静かに語っている。
 司令部へ向かう石造りの廊下を歩いていると木々のざわめきに混じり何かの声が耳をかすめる。足は無意識に歩みを止めていた。
(・・・・・・ーー泣き声か?)
 耳に残る声の方向に顔を向けるがすでになにも聞こえない。
「バイルシュミット団長?」
 突然立ち止まったことを不信に思ったのか傍らを歩んでいた部下が振り返る。耳をそばだてても聞こえるのは木々のざわめきと遠くに鳴く鳥の声。けれど身体はあの泣き声の方へと動いていた。
「・・・先に行け」
 踵を返し来た道を戻るギルベルトを部下が呼び止めるが返ってきたのはただ一言。その不可解な行動に戸惑う部下を置いて、ギルベルトは己の足が赴くままに城内を進んでいく。
 主廊下を脇にそれた先の、小さな部屋から絶えず響く泣き声にかまうことなく扉を叩くが声に消されてしまったのか返事はない。
「失礼する」
 ややあって扉を開くと部屋の向こうに見えたのは数人の侍女と乳母に抱かれた小さな赤ん坊の姿。ギルベルトの来訪に気がついた侍女が慌てて駆け寄り頭を垂れる。
「申し訳有りません。先ほどまでぐっすりと眠られていたのですが突然泣きはじめ・・・」
「・・・赤子か」
 柔らかな日が差し込む窓辺に侍女がせわしなく動いていた。真白の布にくるまれた赤子は泣きやむ様子もない。
「先日お生まれになった第十三王子、菊様にございます。このような大泣きは今までありませんでしたのに一体どうして」
 語りかける侍女と共にゆっくりと窓辺へ近づけば乳母が困惑した顔を向ける。
「ああ、騎士様。申し訳ございません。あやしておりますが一向に泣きやまず」
 ギルベルトの無表情を見て乳母は泣き声がうるさいと注意しに来たと思ったのだろう。その両腕に大切に抱かれあやされる赤子の泣き声を不快に思うことなく、その柔らかく膨らむ頬に流れる涙を見てギルベルトの胸にゆっくりとひかりが灯されるのを感じた。
「・・・代わろう」
 努めて優しい声音でかければ乳母が優しく微笑みギルベルトへと赤子を託す。左腕でしっかりと赤子を抱き、安心させるよう布にくるまれた小さな身体を規則的に、力を入れないように叩く。いつかの街の巡回で見かけた親子の様子を思い出しながら。
「あー・・・うぅ?」
「まぁ、まぁ・・・!」
 程なくしてあんなに大泣きしていた赤子はぴたりと声をとめた。間近で見ていた乳母と一部始終を見守っていた侍女が感嘆の声を上げる。
「騎士様が抱いたとたんに泣きやむなんて」
 涙で濡れた頬をガーゼでやさしく乳母が拭う。ぱちぱち、と音がしそうな瞬きを繰り返した赤子の瞳は陽の光をうけ金色に輝いていた。
「・・・黄金の瞳・・・「金の子」か」
 この国に遙か昔から言い伝えられる「運命(さだめ)の子」。その中の「金の子」の特徴を瞳にこの赤子は宿していた。
「はい。ですが医師によれば心の臓が弱く、体も大きくはならないと・・・」
「・・・・・・」
 王族で病弱となれば何処から狙われるかわからない。ギルベルトの脳裏にふとした陰がよぎるが、その先に憂いなどないと、湖面を反射する光のように瞳が輝く。
「ああ、騎士様から代わればまた泣いてしまいます」
 静かな今のうちに乳母へ引き渡そうとするとギルベルトの腕から離れる雰囲気を察知したのか、また赤子が大きく泣き叫ぶ。乳母は伸ばした腕を止めそのままギルベルトが抱いていればぴたりと止んだ。
「・・・とんだ甘えん坊だ。名を菊と言ったな?」
「はい」
 困惑した顔の中に少しの笑みを浮かべ乳母が菊を見つめる。
「・・・誓おう」
 黒鷲がその翼をそぼ濡れたようにしっとりと光を反射する黒髪を梳き、涙で煌めく瞳をのぞき込めば、その双眸は反らされることなくギルベルトの赤い瞳を見つめた。
「プロイツェン王国騎士団所属、ギルベルト・バイルシュミットが誓う。我、汝の剣となりすべての仇なす者仇なす刃よりその身を護らん。我が生涯を菊、貴方に尽くすことを此処に」
 額に誓いの口づけをすれば小さな手が答えるようにギルベルトの頬を触れた。金の瞳が嬉しそうに弧を描き、くふくふと言葉にならない声をあげる。
「騎士様・・・」
 突然の騎士の誓いに困惑したのか乳母がぽつりと呟く。周囲にいた侍女は唖然として動きを止めている。本来の騎士の儀式は王の間で階級のある騎士と貴族、そして王と共に厳かに行われるので当然だろう。この飾りもない質素で小さな部屋のなか、見守るものは数名の下働きの侍女と乳母のみ。けれどその誓いは絢爛豪華に着飾られたものより光りに溢れ尊さに満ちていた。
「王妃は・・・亡くなられていたな」
「は、はい。難産でございました。今はこの城で過ごすようにと男爵様から仰せつかっております」
 金の瞳から顔をあげ乳母へと問えば乳母は短く答えつつ傍らにいた侍女に指示をする。
「南方の辺境男爵が?」
「はい。別命あるまでこちらで待機せよと書簡を頂いております」
 ギルベルトが疑問に思うのを予想していたのか乳母に指示された侍女が金属の筒を差し出す。その蓋を開け取り出した手紙の末尾に記されていた著名は癖の強い南方の領の者で間違いない。ただその簡潔な命令文に違和感が募る。
 聞けば王妃の急逝の知らせを受けた男爵が寄越したもので自分たちと菊とも直接の面識はないという。菊の母親である王妃と南方の男爵にはなんの繋がりもなく、むしろ前王妃との子、第四王子と一緒にいる姿が多い。
 ならば考えられることはひとつだろう。
「・・・荷物をすぐに纏めいつでもここから出られる準備をしろ」
 ギルベルトの言葉にさっきまで満ちていたあたたかな空気が一変する。
「・・・一体どちらに?」
 乳母が険しい顔でギルベルトを見据える。南方であれ男爵の爵位を持つ者の命令書と自分の言葉、どちらに従うか。検分するかのようにギルベルトを睨みつけた。
「我が別邸へ。遠からず使いが来るだろう。ここにいる全員を暗殺するために部隊を率いてな」
「暗、殺・・・」
 乳母の顔が青ざめる。
「南方男爵は第四王子の腰巾着だ。生まれたのが金の子であれ王子の王位継承を仇なすと、手段は選ばない。赤子のうちがもっとも殺しやすい」
 訪れる最悪の未来の可能性を答えれば、とたんに侍女達がざわめく。
「ですが、ですがそのようなことになればっ・・・!!」
「暗殺したのは隣国のローマ帝国。国境に近いこの場所ならばその説明も容易い・・・くだらん三下の考えるシナリオだ。邪魔な王子を消し、さらに王位継承で疲弊する隣国へ戦争をふっかける理由にもなる。あの男爵の薄暗い話はこちら(騎士団)にも耳にする。それこそ絶えず、うんざりするほどにな」
 なおも縋る言葉をギルベルトは絶つ。自分たちでは手の届かない身分の者のいいようにただ利用され運命は決まるのだと。
「なんと、ああ・・・」
 絶望にうなだれる乳母に同情はしない。
「我がバイルシュミット侯爵家ならば奴らも手は出せん。急げ」
 自分がいる限りこの小さな主に決して最悪の未来を訪れさせはしないのだから。
「は、はい!!」
 ギルベルトの言葉に我に返った乳母と侍女が素早く行動した。


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2018/07/13(金) 20:41 護衛騎士と主君 PERMALINK COM(0)
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