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第三節 争いと決意と


 十四歳の誕生日を迎えた菊が軍の名誉連隊長へ拝命されることが決まり居城内は慌ただしい日々に追われていた。数日後、書類や面会の通常業務に加え書類手続きも終わりようやく落ち着きを取り戻した日の夜。
「ギルベルトに報告があります」
 一日の終わりの僅かな時間をのんびりと自室で過ごしていた菊が姿勢を正し真剣な顔でギルベルトへ告げる。そのただ事ではない雰囲気を察して自分もまた姿勢を正す。琥珀が一度瞬いた。
「私が名誉連隊長に任命されることは貴方も知っていますが、来期よりドレスデン軍養成学校へ入学することが決まりました」
 深呼吸の後、一気に紡がれた言葉に視界が揺らいだ。
「連隊長への任命も私が卒業してから行うとの変更もしています」
「却下だ。軍学校だと? 万が一を考えろ。暗殺、事故死、敵に殺してくれといくらでも機会を与えるだけだ。その身は一般人とはわけが違う」
 幼少の暗殺事件以来、ほぼ無いとはいえゼロではない。金の子は商売道具にも金持ち共のステータスにもなる。危険になると分かっていて無闇に外へ出させるわけにはいかない。
「……ええ、ええ。貴方が反対することはわかっています」
「ならば何故――」
 ギルベルトの拒絶に閉じた瞼をゆっくりと開く。双眸の瞳の色は変わらず、けれどその奥に力強い意志があった。
「私がただのお飾りでいられるほど素直で従順なら良かったのですがね?」
「…………」
「王族に産まれても運命の子であるが故に他の兄弟と同じ環境ではいられぬ私を、国は今まで扱い損ねていました」
 生まれによっては国を滅ぼすほどの影響力を持つ運命の子。王国にとってその最悪のカードが菊だ。王族であるが故に満足に暮らせどその裏には死が這い寄る。殺そうと(不幸に)すれば王国へ災厄(呪い)が降りかかる。かつての王国がそうであったように――
「ですが長く続く休戦が、いつ破られるかもわからないこの状況で利用しようと言うのです。安寧と祝福の象徴として。そして時がくれば戦の神として」
 戦争が、頭によぎる。ギルベルトの心の奥深く埋め込んだ過去。供えられた白い百合で埋まる棺。黒の軍服を数多の勲章で飾りながら眠るように納められた兄の――
「ならば私が、それを利用しよう、と――」
 震える両手をあたたかな手が包む。触れられた場所から伝わる熱がギルベルトの意識を現実へと引き戻した。
「王族の教養を受けてきたということで在学は3年から2年に短縮し、フェリシアーノとロヴィーノも共に学びます。私の護衛として常に二人がいますので暗殺も事故も心配ないでしょう」
「……あそこは全寮制だったはずだ」
 動かない頭でようやく絞り出した言葉は震えていた。
「この城から通います。馬車なら一時間ほどのはずですから可能です。送迎をお任せしますね」
 身を乗り出した菊がギルベルトの身体を抱きしめる。その力は優しく、けれど自分を覗く瞳はなおも深い。
「それでも納得できず嫌ならば、今すぐ私を拘束してこの部屋に監禁しなさい」
 この歪んだ心を見透かされているのだと思った。歳月を重ねる度に成長する姿を大事にすればするほど心の一部がどうしようもなく飢えていく。
「…………」
 生活も秘密もその全てを自分と共にしていた菊がはじめて分かつ。反対されることを予想して用意された案は到底安全とは言えない。けれど。
「貴方に黙っていたのは悪いと思っています。けれどこの平穏が崩れた時、戦場に駆り出された時に付け焼き刃の知識と浅い経験で乗り越えられるほど戦場は甘くないのは貴方が一番ご存じでしょう?」
 兄の死顔が、菊と重なる。それだけは――
「お前が私を庇って死ぬのを、私は望みません。それが従者の使命でも、許しません。なにがあろうと生かします」
 互いの息がかかるほどの距離で双眸の黄金が揺れる。その容姿と相反して低く紡がれる声が自分の望みを砕いた。
「たとえ汚名を着せられ蔑まれようとも、貴方も私も、老いて死ぬのです」
「っ…………」
 その光が眩しくて、俯く。閉じた瞼には消えようのない光が宿り、涙が静かに頬に伝った。
「……ギル?」
 苦痛に顔を歪ませたまま何も言えない自分を細い指が包み込む。
「……一瞬、目の前が真っ暗になった」
 その手を取り重ね、祈るように瞼を閉じ唇を寄せる。
「ごめんなさい。こうでもしないと貴方はきっと納得しないと。でも急に告げるのは今回でやめにします。傷つけてしまいましたね……」
 空いた腕が首へと回り引き寄せられる。柔らかな唇が涙の跡を拭った。
「顔を、見せてください。ギル……貴方の震えが止まるまで、どうかこのままでいさせてください」
 この見えない傷の痛みが収まるまで菊はただ静かにギルベルトを抱きしめた。



 ***


「後方部隊が未だ帰ってこない――?」
 名誉連隊長へと任命された菊の執務室。つい先日の任務を終え帰ってきたばかりの書類を整理していた菊はその言葉に耳を疑った。
「ええ、到着予定時日から三日以上経過しています。付近の街に駐留していないか連絡をとりましたがそれらしい部隊はいないということです」
「……それは、行方不明……ということですか?」
「――……連絡不通、そうとみていいでしょう」
 末弟の護衛部隊といえど鍛え上げるのはあのギルベルトだ。その練度は王国の精鋭部隊が相手でも引けを取らない。それが連絡を取れない状況に陥るとしたら考えられるのは戦闘により壊滅状態になったか、あるいは――
「………………」
 ふさぎ込む菊を横目にローデリヒが地図を広げる。
「我々が帰還する際は降雪に多少時間を取られただけですが、その後天候が悪化した可能性があります。あそこは山岳箇所が多く迂回するにも困難かと」
「………………」
 ローデリヒが指さす先には数カ所にばつ印と文字が走り書きされている。その地図を菊も野営中何度も見ていた。
「……部隊はギルベルトとヴァルガスでしたね。ギルベルトはともかくヴァルガスの方で何かあったのかも知れません」
 ヴァルガス――甘い栗色の髪が美しい二人の兄弟は菊の友人であり護衛だ。軍学校を二人に護られ通っていたので彼らの実力は知っている。普段は弱気に泣くばかりだがいざというときは二人で立ち向かえる強さがある。そしてフェリシアーノの持つ金の瞳は超人的な直感を彼に与えていた。命に関わる危険を彼が気づかぬはずがない。
「エリザベータを捜索に向かわせます。――準備は?」
 説明するローデリヒの言葉に顔を仰ぐ。扉の前ではエリザベータが佇んでいた。
「いつでも出動可能です」
「……菊?」
 自分の思考が追いつかないまま事態は淡々と進んでいく。その現実に己の力量が未熟だと思い知らされる。
「……いえ、なにも。エリザベータ、お願いします」
 悔しさに唇をかみしめる。早く彼らに追いつける程の実力をつけなければこの身は護られてばかりだ。
 出発しようと扉へ手を伸ばしたエリザベータが止まる。疑問を口にする前に扉が早急に叩かれた。
「何用です」
「ほ、報告をっ!! バイルシュミット隊の伝書鳥が帰還しました!!」
 エリザベータの問いに息を荒げたまま騎士が答える。
「こちらへ」
 開いた扉の先では汗を滲ませたままの騎士がその手に黄色の羽の小鳥を包んでいた。小鳥の足に付けられた小さな書簡筒。
「黒鷲印(ギルベルト)の書簡筒……間違いないでしょう」
 小指ほどの書簡筒に収められた小さな紙片を取り出し目を走らせていたローデリヒの顔色が曇る。
「『バイルシュミット隊、ヴァルガス隊は敵奇襲を受け現在洞窟内にて潜伏。なお、負傷者多数。負傷者は――』」
 冷静に読み上げられる内容に顔が歪む。駆け寄りのぞき込んだ紙片に綴られた文字は―
「……ギルベルトの、文字じゃない……」
 その事実に心臓が早鐘を打つ。落ち着こうと息をゆっくり吸い込むが余計に焦燥してしまう。
「負傷者はミルコ・エック、ウルリヒ・フェルステ……軽傷5。エッケハルト・フォイエルバッハ、アーダルベルト・シュトイヤー、中傷2。ギルベルト……」
「ッ――……!!」
 エリザベータと騎士が驚愕する。
「……ギルベルト・バイルシュミット、重傷1」
 息が、止まった。

「……重、傷……ギルベルトが」
 声が震える。信じたくなかった。
「サインはフェリシアーノのものです。洞窟の位置が暗号で書かれていますね。場所は―」
 今では資料もなく解読困難な古ラテン語で綴られた文字を二人が読み解いていく。万が一の際の暗号をヴァルガス兄弟は自分たちに教えていた。
「では報告を最優先に」
「――Alles klar.」
 敬礼の後、足早にその部屋を発つ。エリザベータと騎士がローデリヒに見送られるのを自分はただ眺めていた。
「……心配なのは分かります。あのお馬鹿さんが怪我を負う事態ですから」
 眼前にローデリヒが立つ。自分を見つめる霞の瞳は心配に細められていた。
「ですが私達の役目は待つことです。――貴方が行ってもできることはありません。わかりますね?」
「……はい」
「よろしい。それでは今日はもう遅いので眠りなさい。眠れなくても身体を休めるように、いいですね?」
 人形のように動かない菊へローデリヒは成すべきことを命ずる。回らない思考はただそれを実行するために体を動かす。
「……ええ。おやすみなさい、ローデリヒ」
「おやすみなさい。菊」
 扉を出れば薄暗い廊下が続く。瞬きをする度に色褪せていく景色を菊は歩んだ。

 ***

 エリザベータが発ち二週間。日に日にその顔色を青くしやせ細っていく菊がついに倒れたとの報を聞き寝室に駆けつける。ベッドに横たわる菊の姿が痛ましく、ローデリヒは未だ戻らぬ幼なじみを胸中で非難した。
「ギルベルトが帰ってきても貴方が倒れていてはどうするんです」
「……すみません」
 柔らかな枕に広がる髪は艶を失い、血色を失った顔の瞼の下には濃い隈が広がっていた。
「……眠れませんか?」
 侍女たちの話によれば口にする量は少なくなったが食べる意志はあるようでフランシスが柔らかく食べやすいものを出しているという。夜もきちんと自分のベッドへ入るのを護衛が確認する。不安に苛んでも身体が疲れれば自然と瞼は落ちるはずだ。
「……夢を、見るのが怖いんです。予知夢ではないか……気が気でなくて」
「見た夢が必ず起きるとは限りません。悪夢を盲信してはその通り(結果)になってしまうだけですよ」
 顔を近づけなければ消えてしまうほどの声で吐かれた不安をローデリヒは打ち消すように優しく答えた。
「貴方はただ信じて待ちなさい。ギルベルトの帰りを」
「はい……」
 ゆっくりと閉じられた瞼を見つめる。このまま衰弱していけば命に関わるだろう。増えた問題の対策を考えていると小さく扉が叩かれる。言伝を受け、その報に安堵した。
「そうですか、ご苦労様です」
 緊張に張りつめていた日々がこれで終わる。
「ローデリヒ?」
 再びベッドへ立てば身を起こそうとした菊を制する。
「エリザベータから連絡がありました。ギルベルト達と合流しこちらに向かっているとのことです」
 霞を見つめる琥珀が揺れる。安心させるよう報告を続けた。
「生きていますよ。怪我はやはり大きいようですが命に問題ないようです」

 ***

 古城に馬車が次々と到着し待ちかまえていた衛兵や侍女があわただしく動き回る。ローデリヒとフランシスを携える菊へ足早に一人の騎士が駆けた。
「バイルシュミット隊、ヴァルガス隊、帰還いたしました」
「全員の帰還、喜ばしく思います。報告は後に。今は怪我人を休ませてください」
 労うように声かければ騎士は己の役割を全うすべく再び馬車へと駆けていく。視線を泳がし、目的の人物を捜す。
「ッ――!! 隊長、動いては――!!」
 大柄な騎士に制されても歩みを止めず、身体の至る所に包帯を巻いたギルベルトがゆっくりと己の足でこちらに向かってくる。
 銀の頭に包帯が巻かれ深紅の瞳がひとつ隠れている。右腕は大きく包帯で覆い胸に下げられ片足を庇いながら近づく姿を瞬きせず見つめた。ギルベルトが菊のもとに辿り着く。眼前に立つギルベルトの姿を無言のまま睨みつけた。
「……帰還した」
「――ッ……」
 一ヶ月ぶりに耳にした声に視界が歪む。
「――っ……もう、ギルなんて……」
 熱くなった瞼から涙がぼたぼたと溢れる。罵ろうとした言葉は出てこず、息をするのに必死だ。
「……知りません、からっ。わ、私が、どれだけっ……心配したか……っ」
「ああ……すまない」
 声が震えうまく言葉が出せない。謝罪の言葉は聞きたくない。聞きたいのはひとつだけだ。
 大粒の涙で濡らす頬をギルベルトの左手が触れる。
「……菊」
「ッ――……!!」
 待ち望んだ姿に、求めた己の名に、視界が鮮やかに甦る。衝動に耐えていた身体が動く。その広い胸に飛び込めば優しく抱きとめられギルベルトの鼓動が伝わる度に菊の身体にも命が伝った。
「――おかえりなさい、ギルベルト。お前が、生きててっ……良かった…」

 ***

 ベッドに敷き詰めたクッションに上半身を預け、自分を抱きしめたまま離れない菊をその左腕で囲う。窺うような視線を寄越すローデリヒを一瞥しゆっくりと菊の頭を撫でた。
「……よく眠っている。この分だと朝まで起きねぇよ」
「そうですか、では――」
 ベッドを中心に並べられた椅子へ座る各々の顔を仰ぎ見る。
「報告を。あなた方が何故オスマン・トルコ帝国に居たのか理由も含めてお願いします」
 予想していた問が投げかけられる。王国の端に近い場所にいたとはいえ国境を越えかつての敵国に身を寄せていた理由。
「順を追って説明する。まずは……敵襲からか」
 横たわる己の足に広がる地図を手に取る。
「前方部隊があの山麓部分を渡り、翌日俺たちが通過しようとした時にはすでに吹雪いて足止めを食らっていた」
 本来巡るルートを指でなぞり大きくばつを描く。そして走り書きされたばつの場所を叩き深紅の目を細めた。
「別ルートの山脈を越えようと試みたがあそこだけ寒波の影響で局地的豪雪地帯となるらしい。比較的ましな道を割り出し翌早朝に強行中敵の急襲を受け応戦。雪崩に巻き込まれ付近の洞窟内で待機していた」
 そこまでしゃべり、ギルベルトがエリザベータを見据える。
「数日経過したある日、サディク・アドナンの私兵隊がやってきてそのままスルタンの保護を受け、エリザベータと合流した」
「……敵に心当たりは?」
「オトフリート・シュタイネルを覚えているか? 南方辺境の」
「ええ」
 忘れもしないだろう。あの男はギルベルトを懐に、菊を亡き者にしようとした男(豚)だ。
「第四王子の臣下共々、奴も処刑されたが奴の娘がオスマンに嫁いでいた」
「……」
「父親を処刑された原因の俺たちを憎み、復讐の機会を窺っていた―……この十年をな」
 十年。その歳月は余りに長く。
「……自らの私欲のせいで自滅したと言っても残された者にとっては何の制止にもなりません、ね」
 理由が嘘でも事実であっても家族を失ったことには他なら無い。狂った道を正す人間が彼女の周りにはいなかった。ギルベルトが静かに菊を見つめる。
「第十三王子が名誉連隊長として各地を巡回すればその位置も掴みやすくなる。その女(奴ら)にしたら今回の遠征は唯一のチャンスだった。だが、たとえ雪中だろうが砂漠だろうが傭兵(ごろつき)ごときに俺たちの部隊が遅れをとることはない」
 ギルベルトがかせる訓練に付いてこれる者だけが菊の護衛騎士となれる。その合格率は恐ろしく低い。
「本隊が進路を塞いでるなか峰に配置した別働隊が人為的に雪崩を起こし、敵味方諸共を巻き込む。万が一生存していた場合も別働隊が消す手配だったんだろうが」
「別働隊は分散したヴァルガス隊(兄ちやん)で対処したよ」
 静かに寝息をたてる菊の寝顔を笑顔で見ていたフェリシアーノがさらりと答える。
「……雪崩には材木と岩が混在していた。対峙した時のあの女は喪服だったぜ」
 猛吹雪の中、真っ黒のドレスを身に纏いギルベルト達の前に現れた姿を思い出す。黒のヴェールに隠れた表情。声。最期の顔。亡霊といってもいい。
「自らを囮にしてまでも……いえ、自殺だったのでしょうか。それにしてもヴァルガス隊を分散させてよく雪崩に巻き込まれませんでしたね」
「あ、そこからについては俺が説明するであります」
 普段は陽気に閉じられた双眸を開き、フェリシアーノが手を挙げる。彼に視線が集まる。
「えっと、今回の急襲を実は俺が何度も夢見ていて」
「……予知夢……金の子の能力、ですか」
「うん。夢の中身は少しずつ違うけど……敵の規模や場所、雪崩に巻き込まれて流れ着いた洞窟の場所……部隊の損害規模。色々と……」
 夢とはいえいつ終わるか分からないほど繰り返されるそれによく病むことなく正気を保っていられたものだと感心する。
「その中でどうすれば最善の結果になれるか――。急襲を知ればまた別の手段で部隊は襲われる……菊が、命を落とすこともあった」
「――それは……」
「うん。それは〝絶対起こしちゃいけないこと〟だから俺はこの選択を取った」
 淡く輝く金の瞳がその存在を主張する。
「雪崩が起きるのはもうほとんど確定未来だったから一番被害が少ない方法……あの女性が合図した直後ギルベルトに叫んだんだ。〝雪崩が来る、全員纏まって掴まれ〟って。ギルベルトに雪に混じる木や石を対処してもらうのが一番損害が低くて……」
「『銀の子』の超人的な反射神経と力があればこそ、ですね」
 それでもフェリシアーノが選択したこの結果は犠牲はゼロではなく。それにギルベルトが怪我をして一番傷つくのは菊だ。
「雪崩に流されずその場所に運良く留まれても別働隊の対処まで追いつけないのなら、こちらも部隊を用意すればいい。気取られないよう兄ちゃん達には最後方にいてもらって。流された先で少しでも治療できるよう準備もしてて、あとは――」
「手紙の筆跡がギルベルトでないのは?」
 ギルベルトは本来左利きだ。負傷したのが右腕なら影響はなかったはずだ。
「そのときは俺がまだ動けなかったからだ。怪我による発熱、失血により意識もろくになかった。付近を飛んでいた伝書鳥(小鳥)は無事だったため送った」
「……オスマンが何故、そこにいたのでしょう」
 ことの顛末を説明されてもやはりそこにいきつく。今回の遠征は国内にその話が流れてこそいれど隣国まで噂されるほどのものではない。この国の動向を窺っていたとしても向こうにとっては何の影響もないことだろう。それがスルタンの耳に届いていたとは考えにくかった。
「向こうにも金の子の予言があったらしい。スルタン勅命の精鋭隊が迎えに来て俺達を治療施設に護送。付近で捜索していたエリザベータも連れてこられたが極秘施設のため連絡は限定されていた」
 ギルベルトの言葉に腑に落ちる。オスマンの金の子。それはスルタン自身に他ならない。
「今回のことはオスマン帝国(サディク)からしたら内々に処理したいだろう。……余計な火種だ」
「ええ。アドナンには感謝をしなければ。あの日(菊へ)の恩返しにしても大きすぎますから」
 過去にこの国が敵対していても構うことなく菊はサディクを助け、彼はその恩を忘れずにずっと過ごしてきたのだろう。審判の一族とはいえ義理堅いその人柄とあのはつらつした表情が浮かぶ。これでひとまず話は繋がった。
「色々とまだ頭の整理が追いつきませんがまずはいいでしょう……久しぶりに緊張した日々を過ごしました」
「ヴェヴェ!! 俺も疲れた~。ゆっくり休みを貰うであります!!」
 張りつめた空気が離散し、ようやく訪れた休息にフェリシアーノは花をとばし喜ぶ。
「……おい。ローデリヒ」
「なんです?」
「お前がいながらこいつの現状はどうなってやがんだ」
 ギルベルトの腕の中、今でこそ穏やかに眠っているがその顔には不眠の跡がくっきりと写る。帰ってきたときのあの泣き顔を思い出す度に今回の事故と自分の不在がただ悔やしい。
「どうもこうも本人が休息をとらないのですから。私ではどうしようもありませんよ……貴方でなければ」
「…………クソッ……」
 死を覚悟したつもりはない。だが自分がいない日々がこんなにも影響を及ぼすとは。
 立ち去ろうとしたローデリヒが振り返る。
「二人とも暫くはベッドの住人におなりなさい。――ゆっくり休むように、よろしいですね?」
 珍しくかけられる言葉にギルベルトは心配かけたのは菊だけじゃないことを知る。
「ああ……」
 皆が去った寝室で菊をその腕に抱きながらゆっくりと瞼を閉じた。
2019/03/04(月) 03:06 護衛騎士と主君 PERMALINK COM(0)
第二節 出会いと争いと


 ギルベルト達が第十三王子の菊を育てはじめてから五年程経過したある日――

 王族が管理する古城を改築して移り住み、城の居住区の一角。統一された色合いと華美になりすぎない装飾が主の気だての良さが現れる部屋で赤褐色が美しいマホガニーの執務机に向かう主を二人の騎士が囲んでいた。
「当主はオトフリート・シュタイネル。爵位は男爵。本来ならこのような招待は受けませんが、彼の妻が王族の傍系になります」
 つい先日この城の主宛に届いた手紙には王子の成長を喜ぶ文面と共に近々館にて晩餐会を開く旨が綴られており、机には他にも同じような内容と色の違う蝋印で飾られた封書が何通も折り重なっていた。
 毎日届けられる手紙のほとんどは自分たち騎士の仕事のものだが時折貴族から贈り物とともに手紙が贈られてくる。王族と貴族の階級は違えど嫌と言うほど身に覚えのある手紙の数々にローデリヒが小さく息を吐く。隣に立つエリザベータが手にした書類を呆れ顔で眺めていた。
「王族と言ってもかなり遠くに連なりますね。実家は大方没落しそうになったので娘を差し出したといったところでしょうか」
 別段珍しいことでもない。貴族に産まれた女性はその家の道具でしかなく、ヘーテルヴァーリ家(エリザベータ)のように騎士や他の役職を持つ者の方が珍しい。
「毎年、誕生月に手紙を寄越しています。私たちが菊様を引き受けて手を引くかと思っていました」
「南方の辺境男爵も熱心なことだ」
 深紅の双眸を細め呟いた声には少しの関心が混じる。
「……そろそろ頃合いでしょうし、そこまで望むのなら一度赴いて差し上げましょう。菊にも丁度良いお勉強になります。良いですね? ギルベルト」
 ローデリヒの穏やかな声に隠された企みに眉間の皺が寄る。ただ招待されるだけでない事は明白だ。
「……いいだろう」
 五歳となり家庭教師をつけ他人との付き合いも始めたが、まだ幼い主への負担を考えると本音は拒否したい。だがギルベルト自身もこの男爵とは一度顔を見せなければと思っていたのだ。問題を後回しにする理由はない。
「あんた、過保護すぎると嫌われるわよ」
「うるせぇよ」
 珍しくすんなり了承したギルベルトにエリザベータが苦笑する。ローデリヒが返事を綴ろうとしている横でいつもの口喧嘩が始まろうとしていた。

 ***

 自分の領地外へはじめての遠出と長距離での馬車移動に疲れた菊の身体を案じギルベルトがその身体を腕に抱く。五年という歳月で随分成長したと思ったがそれでもギルベルトが優に片手で抱いたまま走り回れるほど軽い。無理をさせていないか身動き一つしないのを不安に思う。その顔を覗けば大きな瞳を瞬かせ小さく微笑んだ。己が案じていたよりも元気な姿に目を細めると不安と緊張で張りつめていたその身体から力が抜け細い腕がギルベルトの外套越しに首へ巻き付く。こつり、と額を合わせて真正面の琥珀を見る。
「俺がいるから大丈夫だ」
 前を歩いていた執事が扉の前でこちらを振り向く。視線で了承すればその重厚な扉がゆっくりと開かれた。
 贅の限りを飾り尽くした装飾と太陽よりも華やかに輝くシャンデリアが照らす晩餐会の会場に、色とりどりのドレスや夜会服に混じり漆黒の軍服が現れると室内が大きくざわめく。
 何処で聞いたのか自分達が出席することを知った暇な貴族達で会場内はひしめき合い、滅多に公の場に姿を現さない十三王子の姿を一目見ようと好奇の目がギルベルトと菊に突き刺さる。だがこの場に恐れるものは何一つない。たとえこの群衆すべてが相手でもこの腕の主を守れる自信がギルベルトにはある。
 やがて人々の群が割れ金の装飾で豪華に飾られた男が女性を連れ立こちらに向かってくる。腕に抱いていた菊を降ろし今日の主催へ挨拶を促した。
「本日はこのような華やかな場への誘いをいただき嬉しく思います。プロイツェン王国第十三王子の菊です。そして、こちらは私の騎士のギルベルトです」
 ゆっくりとけれど凛とした声が紡がれれば騒がしかった会場が一気に収束する。目の前に立つ男は菊の言葉に満面の笑みを浮かべた。
「遠路はるばるこのような地へお越しいただきありがとうございます。私が今回このささやかな主催を務めさせていただきます、オトフリート・シュタイネルと申します。どうぞお見知り置きください。菊様、ギルベルト殿」
 恭しく丁寧に下げた頭を上げオトフリートが促した先にはワインレッドのクロスが艶やかに光沢を出しテーブルを包みその周囲に数脚の椅子が並ぶ。舞踏会は始まったばかりだが幼い菊のために用意したのだろうその席にギルベルトは菊を膝に乗せて腰を下ろした。目の前の席にオトフリートが着けば待機していたメイド達が音もなく静かに給仕し始める。
 シャンデリアからの光りを余すことなく反射する小さな杯には葡萄水とギルベルトには食前酒が用意されテーブル上でオトフリートがグラスを掲げると今宵の晩餐会が始まった。
「菊様の護衛が王国随一と言われていたギルベルト殿であることは噂で知っておりましたが、暗殺を恐れ私がお守りしていた菊様を保護したのがまさか貴方だったとは……!!」
「……ああ、その件には感謝している(・・・・・・)。礼を言わせてもらおう」
 最初は菊へ今の生活について、好きなことや得意なことを質問していたがその話が護衛騎士へと変わるとギルベルトの過去の栄誉を称賛し始める。オトフリートの言葉に興味など無く演技がかった言葉とは対象に淡々と返すも男はパンを掴んだままの手で腕を広げ首を振った。
「いえいえ、私のようなものにできたのはあのくらいです。菊様がこんなにも大きくなられたのもきっと貴方のお力あってこそでしょうな」
 主賓である王子に取り入る必要はもうないのかギルベルトを見据える。まるまると肥えた顔に収まる瞳がぎらりと輝き先ほどまでの人の良い笑みは消えさっていた。その下卑た微笑みが続ける。
「私は貴方を高く評価しているのです。――そして、期待も」
「……」
「騎士団を去った貴方がもう一度世に返り咲くために、どうでしょう。私の元へ来る気はありませんかな?」
 それまで頭上の会話に静観していた菊がびくりと身体を震わせる。腰に回していた手で菊の腿を優しく叩けば小さな両手がギルベルトの裾を掴んだ。
「……それは俺を引き抜く、と?」
 会話から感じていた違和感。晩餐会の目的は菊とのお目通りではなく護衛である自分の誘いだったのか。
「ええ。私の妻は王族の家系です。今度こそ必ずや満足のいく名声を手に入れられましょう。菊様もそろそろお年頃だ。少々手の掛かる頃ではないのですか?」
 ギルベルトの言葉ににたり、とその笑みを深くする。主の目の前で堂々と、皮肉ですらないその言葉に腹の底が冷えていく。自らは名のある騎士を手に入れ邪魔な王子はその後にゆっくりと消す。歪んだ顔がその男の全てを物語っていた。
「……ギルは、何処かに行くのですか?」
 難しい会話に水を差せまいと黙っていた菊が声を震わせギルベルトを見上げる。その顔は不安に琥珀の瞳を滲ませて今にも涙が零れるのを必死に耐えていた。
 ギルベルトの胸に痛みが走る。
「菊様、隊長さんとは離ればなれになりますが菊様はお強い子ですから大丈夫でしょう?」
「だ、駄目です! ギルベルトはあげません。菊のです。ギルは菊のです!」
 オトフリートの言葉に菊が叫ぶ。その瞳は強く目の前の男爵を睨みつけてほのかに淡く輝く。
「菊……?」
「ぎる、は……っ! ……ふぇっ……」
「……おやおや、泣かせてしまいましたか。申し訳ない。まだまだ子供でしたな」
 自分に似て感情の起伏が少ない菊は滅多なことでは声を荒げることはない。ましてや泣くことも稀だ。自身の激情を叫んだことで感情のコントロールができず泣いてしまった菊をなだめるよう小さく囁くと己の胸で震えていた身体が止まる。
「それにしてもこれではせっかくの食事もままなりません」
「……菊」
「っ……はい。だいじょうぶ、です」
 相手が例え自分に好意以外(敵意)を向けていたとしても今は晩餐会だ。この場で泣き叫んでいられないことを菊も理解している。頬に流れる涙をガーゼで優しく拭えばその瞳は琥珀に戻っていた。
「最近、若くて腕のいい元王族専用料理人を迎えまして。味は保証いたします、どうぞ続けてお召し上がりください」
 ギルベルトが自分の元へ来ることを妄信したオトフリートが食事を勧める。目の前に並ぶ食事を一別し、手を出さないよう菊を制した。
 傍らに控えていた給仕に預からせていた物をテーブルに並べさせる。現れたのは自分たちが普段食事で使用している銀食器だ。
「…………ギル?」
「菊様には専用のカトラリーを持参しているので使用しても?」
「え、ええ。もちろんです。……どうぞお使いください」
 晩餐会では出席者自らが食器を持参することが普通のためおかしいことではない。テーブルにあらかじめ用意されていた金色のカトラリーが下げられていく。
「末弟とはいえ菊様は金の子。他兄弟から疎まれることもあるがその命を狙う者もいる」
「……それは隊長殿からすればさぞ難儀なことでしょう」
「外敵からの襲撃は我々騎士がいるため問題ない。――だが」
 銀のスプーンでターチュ・リエ(海亀のスープ)を数回かき混ぜる。丁寧に灰汁抜きをされ皿の底が透きとおり濃い琥珀が美しいとろみをきかせたスープは他に用意されていたものに比べ冷め切っていた。
「毒殺……食事に毒を盛って殺害しようとするのが一番厄介だ。丁度、こんな風にな」
「……っ――!!」
 手にした銀のスプーンが黒ずむ。こんな古典的な方法とは舐められたものだ。
「銀の食器は毒に反応する。爵位を持つほどの人間がそれを知らぬはずがない。ならば答えはひとつ」
「な、なにを……毒とは! わ、わたしは知りませんぞっ!!」
 毒という言葉に周囲が急激にざわめき始める。オトフリートが勢いよく椅子から立ち上がり己の潔白を叫んだ。
「……誰かが……そう、料理人の仕業だっ!! そうに違いないっ!!」
「オトフリート・シュタイネル」
「――ッッ!!」
 狼狽する男の名を告げる。
「使える主が居なくなればお前の元に行くとでも思ったか? 笑わせる……富も名声もこれ(菊)に比べれば無価値でしかない」
 腕に抱くこの小さな存在(菊)だけが灰色のただ過ぎゆく世界にひかりを与えた。ギルベルトを誇り讃える菊の言葉はどんな名誉にも勝るだろう。
「……っい、言わせておけば貴様ッ……!! 貴様など元団長の名(その肩書き)がなければただのクズでしかないのだぞっ!! たとえバイルシュミットといえど!!」
「……本音はそっちか。自分より爵位の高い人間を服従させて愉悦に浸りたかったのか? つくづく豚共の思考は理解できないな」
 自らの爵位が上がらないのであれば身の回りを着飾り自身の価値をあげる。そんな欲でしか自尊心を保てない人間にギルベルトが仕えるはずもなく。
「公爵家の跡継ぎですらない分際で刃向かうなど!! 身の程知らずめ!!」
「ギルッ…………」
 けたたましく扉を開いて現れた私兵がギルベルトと菊を取り囲む。この場の敵は十数、屋敷全体を合わせ用意されていても五十程かと思案する。招待客たちは自分たちに火が及ばぬよう部屋の隅に集まり中には混乱に泣き叫ぶ者も現れ始めていた。賑やかな広間が一変し張り詰めた空気が自分たちを中心に充満する。
 エストックを構え自分たちを囲む輪の中からゆっくりと男が一人近づく。白い厨房服に似合わぬレイピアをこちらに向けて投げつけると今度は帽子を捨てた。
「Bonjour. せっかく俺が丹誠込めて作った料理に毒を盛るなんて食への冒涜だよねぇ?」
「フランシス!」
「Oui. 俺の小さな主様。ご機嫌はいかがかな?」
 緊張したこの場にそぐわぬフランシスの声に菊の表情が晴れる。ギルベルトに抱かれた菊へ片目を瞬かせ殊更恭しくお辞儀するその姿は洗練された騎士の姿。
「フランシスの料理を楽しみにしていたのに残念です。遺憾の意、です!」
「ははっ! 菊様の食いしん坊は相変わらずだな」
「ボヌフォア! き、貴様っ……」
 男爵自ら招待した料理人(フランシス)がギルベルト達と仲良く会話する意味をようやく理解したのか余裕の笑みを浮かべていたオトフリートが叫ぶ。
「裏切り? Non,non. 確かに俺は王族専用料理人……でも元じゃない。現役さ?」
「……フラン」
「おう。ギルベルト。お前さんの武器もしっかり預かってるぜ」
 腰に下げていたフランベルクを外しギルベルトへと渡す。ギルベルト達を後ろに背に指したエストックを抜きさるともう一つのレイピアと共にゆっくりと構えた。
「……最初から、分かってここに来たのかっ……!!」
「いい加減目障りだったからな。お前のご希望通り出向いてやっただけだ」
「クソっ!!」
 手早くフランベルクを装着し再び菊の身体を抱き上げる。床に刺していたレイピアを右手(・・)で抜き、目の前の敵を見据えた。
「だが元騎士団長といえど一度にこの人数は対処しきれまいっ!! 王国の逆賊としてその餓鬼と共に死ぬがいい!!」
「……菊」
 オトフリートを見つめていた菊を呼べば自分へと顔を向ける。
「俺に掴まっていろ。良いと言うまで顔を上げるなよ」
「っ……」
 ギルベルトの言葉と部屋を充満する緊張からこれから戦いが始まるのだと理解する。
「大丈夫だ。何も怖いことはない」
「……はい。ギルベルトは強いですから。大丈夫です。大丈夫」
 自身を安心させるかのように何度も呟く。できることなら無血で済ませたかったが相手が望むのなら応戦するまで。流れる血は最小限に。無用な殺生は主の前では不要だ。
 ギルベルトがその足を男爵へ向けゆっくりと歩き始めた。


「そんな……化け物、だ……」
 倒れたテーブルに掛かる白いクロスは血に染まり、綺麗に磨き上げられた床は傷にうめき倒れる者達が転がる。戦意を喪失した者は皆、青ざめた顔でただ一点を見つめていた。
「……つまらん戦いだ。準備運動にすらならない」
 血に染まるレイピアを見つめる。菊を抱いたまま黒の軍服に乱れた様子もなく平然と佇むギルベルトの顔には一切の感情はない。ただその瞳は真紅と青に輝いていた。
「冷酷無慈悲(騎士団時代)を知る人間は誰一人協力しなかっただろう? ……――銀の子を見誤ったのがお前さんの誤算だよ」
 髪を大きく乱し体中を血で赤く染め、座り込んで震える男へフランシスが告げた。

 ***

 南方男爵による第十三王子暗殺未遂。その事件から二月が経過しようやく事の全貌が明らかとなった。調査報告書は数十枚にも及び暗殺計画の立案者はギルベルト達が予想していた者の一人。
「計画は第四王子とその臣下の者とのことです……兄弟が手を組んでいたにしては随分とお粗末でしたね」
 目の前に積まれた資料と報告書の山を眺めローデリヒはため息をこぼす。赤ん坊の菊を隣国との戦争に利用しようとしてギルベルト(直前)に失敗。なおも暗殺の機会を狙うが菊を守るのがかつての騎士団長と騎士団の実力者であれば適うはず無く。ようやく成長し外の世界へと現れた今がチャンスだと早計に計画したものは余りにお粗末だった。
「……元騎士団長(ギルベルト)の実力を計り損ねたのが敗因でしょう。私達からすれば”どうしてその人数で勝てると思ったのか”と、はなはだ疑問ですが」
 エリザベータがギルベルトを見て苦笑う。
「結果、第四王子は王位継承権を永久剥奪に監視付き。関係していた臣下は全て処刑――」
 計画に関わっていた者、その末端まで数えると数十は越える。
「……」
「何か気になることでも?」
 資料の一部を睨みつけたまま沈黙しているギルベルトへ問う。
「領土没収でもなければ処刑、か。低いとはいえ爵位と王族の家系をこうもあっさり切り捨てるとはな」
「この国で『運命(さだめ)の子』に手を出せばどうなるか。王族も自分たちの未来がかかっていますから今回のことは見せしめの意味もあるのでしょう」
 そこはローデリヒも気になっていたところだが暗殺対象が王族の金の子と、巻き込まれた形になったとはいえ公爵家の銀の子も含むとあれば王家も厳罰に対処しなければならないだろう。かつてこの王国の前は運命の子によってその定めを左右されてしまったのだ。
「それとも彼らも謀られていたのかも知れません。その真相は今となっては分かりませんがこれでお馬鹿なことを考える者も減るでしょう」
 末弟の運命の子であるが故に王位継承権は持たないがその存在自体が他の兄弟にとって自らを脅かす火種でしかない。疎む者もいればいっそ消して安心したい者もいるのだろう。
 だが菊を狙うのであればかつて国の内外にまでその実力を轟かせた王国の元騎士団長であり銀の子と、人の数倍の力を持つ強化人間が相手では到底勝ち目などない。平穏無事な日々が続くのを祈るばかり、とローデリヒがごちる。
「そうであってほしいです。ただでさえうちは人員不足ですから余計な手間は少ないに限ります。あれから菊様、庭に出るのも怖がってしまって……当面外出は無理そうですね」
「おや、昼間ギルベルトと一緒に散歩していましたが?」
 資料を運ぶ途中に庭園を通れば菊に手を引かれたギルベルトが午後の日差しがあたたかに降り注ぐ庭をゆっくり歩いていた。その光景のまばゆさにローデリヒは思わず足を止め暫く様子を眺めていたほどだ。
「……」
「……なんでアンタだけ」
「ふん……ローデリヒ、報告はこれで終わりだな?」
「ええ。そうですが?」
 夕餉も入浴も済ませたこの遅い報告会のあとには特に予定は無かったはずである。ローデリヒが顔を向けるとギルベルトはすでに扉の前へ立っていた。
「主が呼んでいる」
「……そうですか」
 懐中時計を眺めれば時刻はもうすぐ日付を越えようとしていた。夜更かしは禁止していたが今日ばかりは大目に見てもいいだろう。卓上の書類を整理しようと手を伸ばすと静かな部屋にぽつりと声が響いた。
「育て方を間違えてしまったんでしょうか」
 扉を見つめるエリザベータがこぼした言葉を考える。
「……それはどちらに?」
「え? ああ……両方、なんですかね」
 未だ小さな主とその騎士と。二人の距離は自分たちが知る主従のそれよりも近くて深い。
「まぁこういうのはなるようにしかなりませんよ、エリザベータ。我々は二人が道を違えぬよう示すだけです」
「……はい。そうですね」
 ギルベルトがあの日見つけたひかりは少しずつその輝きを増し周囲を照らしている。その成長がギルベルトと共にあることならば自分達はそのひかりが陰らぬよう全ての憂いを払うだけだ。


 灯りを落とした寝室の小さな光が緩やかにかかるカーテンとベッドを照らしている。寝衣に身を包んだ菊はギルベルトが来るのを待っていた。普段はこんな夜更けまで起きていると怒られてしまうが今日だけは特別だ。睡魔に負けて眠ってしまう日もあるが今日は昼寝をしていたせいもありまだ眠気は訪れない。
 寝室のドアが静かに音を鳴らす。と、すぐにカーテンが優しく開かれ菊が待ち望んだ人物が姿を現した。
「…誕生日プレゼントだ」
「っ! ありがとうございます。ギルベルト、開けても?」
 ギルベルトはその手にした箱を渡すとベッドの端へと座り嬉しそうな顔でいっぱいの主を見つめる。はやる気持ちを抑えて丁寧に開いた箱には上質な絹糸で作られたタッセルが並んでいた。
「同じものがふたつ?」
「これは耳飾りだ。左右に付けるため対になっている」
「対に……」
 ビロードが敷かれた底からゆっくりとそのタッセルを取り出す。さらさらと指に流れるタッセルを包む金属部は繊細な金細工が施してあり掲げた耳飾りと自分を見つめる穏やかな赤が並んだ。
「これ、ギルベルトの瞳と同じ色です。赤くて、とても綺麗……」
「――そうか」
 菊の言葉にギルベルトは胸をなで下ろす。いつだったか己のこの深紅が好きだと言った言葉は変わっていなかった。
「……菊?」
 光に照らし耳飾りを見ていた顔が突然陰る。その小さな唇は引き結ばれ、ギルベルトは静かに言葉が紡がれるのを待った。
「……ギルは、何処にも行きませんか? 菊から離れていきませんか?」
 手にした耳飾りを見つめか細い声で菊が言葉にしたものはギルベルトが予想していないものだった。
「ああ。何処にも行かない。ずっとお前の隣にいよう」
 晩餐会での言葉が菊の心に不安として残り、あれから穏やかに過ごしつつも時折思い出しては胸に小さな痛みを生んでいたのだろう。そのことを思うとあの男をもう一度処刑し(殺さ)なければという仄暗い闇が胸に滲む。
「なら、片方はギルベルトが付けていてください。二つでひとつの対なのでしょう?」
 小さな手がそっとギルベルトの手に添えられた。
「ギルが何処にも行かないように。うんと、うんと頑張ってギルベルトに相応しい主になります。私は騎士ではないから、騎士の誓いはできないけれど」
 金の瞳が光を反射しきらきらと輝く。
「ギルがくれたこの耳飾りに誓います。だからギルは、私の騎士である限りこの耳飾りをつけていてくださいね」
「……ああ。承ろう」
 己を見つめる光がまぶしく目を細める。ギルベルトの短い返事に再び菊がその顔をほころばせて笑う。
「ふふ……ギルとお揃いです」
 自分の予想以上にどうやらこの耳飾りは気に入ったらしい。耳飾りを箱に戻しサイドチェストへ置けば夜更かしは終わりだ。
「気に入ったのなら毎年贈る」
「本当ですか? では色は銀と金、あとは青も!」
 ベッドに身体を預けその小さな身体に腕を伸ばす。抱え込んだ身体が小さく身じろぎするとゆっくりとその瞼は閉じ、やがて静かな寝息だけが二人の寝室に響いた。

2019/03/04(月) 02:58 護衛騎士と主君 PERMALINK COM(0)
LichtⅡに「ヴァルガス兄弟」「ギルベルト」の過去を入れたいなぁと思っていますが入れたい話がどんどんでてくるので整理し直さなければ。
過去話だけじゃなく菊様の新婚生活もいれて糖度甘めにしたいです。やはりギル菊は甘めの幸せが好き。

10251024
2018/10/25(木) 09:40 護衛騎士と主君 PERMALINK COM(0)
ルビーの石言葉はたくさんありますがここはあえて「純愛」で。

イベント・自家通販・虎の穴さんの通販で本をお手に取っていただきありがとうございます。
マシュマロで感想いただくとは思わず、嬉しいです。
浮かんだのを落書きで描いたり、漫画でも描きたいところもあるので我慢したり。ぽちぽち描いては書いていくのでこれからものんびり追っていただければと思います。
まずはトランプぷにちの加筆修正をせねば年を越せません…。

ll01ll02ll03
2018/10/22(月) 02:39 護衛騎士と主君 PERMALINK COM(0)
なかなかヘビィな状況になってきましたФ=Ф('、3_ヽ)_
肝心のくっつくところがうまくすり合わず、うんうん唸ってます。
書きたいエピソードが結構削れるので、それはまたいずれ…
Licht
2018/09/25(火) 06:39 護衛騎士と主君 PERMALINK COM(0)
随時、加筆修正します。
本編か分冊(ノベルティ)のどちらかの巻末にいれたいなとポチポチしています。

【登場人物/用語集】
『バイルシュミット家』
プロイツェン王国の前、神聖ローマ・ドイツ帝国より続く公爵家。
王国に点在する前文明の遺産を管理している。
『エーデルシュタイン家』
かつて神聖ローマ・ドイツ帝国皇帝を選出した大公公爵家。
バイルシュミット家と同じく前文明の遺産の管理をしておりヘーテルヴァーリ家より受け継いだ遺産の一部も保持している。
『ヘーテルヴァーリ家』
バイルシュミット・エーデルシュタインと並ぶ四大貴族のひとつ。
前文明の遺産を多く保持し禁止されている遺伝子操作した「強化人間」を作り上げていたが
そのことがサディク・アドナンに知られ粛清される。遺産はサディクとエーデルシュタイン家に分けられた。
『オスマン帝国』
プロイツェン王国の南に位置する大帝国。前文明の遺産技術を戦争で使用しない等の『大条例』の管理一族、アドナン家が現在のスルタン。
『ヴァルガス家』
ローマを大当主としローマ帝国の栄華を築いた。膨大な遺産の管理、保持をしている。

*****
『運命の子』
各地様々な伝承や逸話が残され地域によっては神の子として崇拝される。
「旧文明人の先祖帰り」でその事実は極一部のみに知られる。
『銀の子』
肌が白く、髪の色素も薄いため白銀の髪を持つ場合が多い。但しアルビノではない。通常の人間の数倍から数十倍の身体能力を持つ。金の子よりも出生率は低い。
『金の子』
突然変異で体の一部に金色を持つ。超直感に優れ、未来視とすら呼ばれる。
『強化人間』
ヘーテルヴァーリ家が遺産を使用し身体能力を強化した人間。全部で数十人から百を超えるとも言われていたが詳細は不明。
サディク率いる殲滅部隊によってその殆どが処分されたが失敗作とし隔離されていた子供――エリザベータのみサディクのもとに引き取られた。

*****
「ギルベルト・バイルシュミット」
菊の護衛部隊隊長。元プロイツェン王国第四六代団長。就任期間は短いがその無表情から出される正確な作戦指揮と合理的思考から冷酷無慈悲な騎士団長と国の内外から恐れられていた。
バイルシュミット公爵家の次男。「銀の子」。普段の瞳は真紅だが時折、朝焼け色(瞳の半分が青みがかった色)になる。
「菊・フォン・プロイツェン(母方性:本田)」
プロイツェン王国第十三王子。金の子のため王位継承権を持たず「フォン」の称号を与えられている。
極東の双国である「日ノ本」の王族を母に持つ。中隊規模(二百人程度)の護衛部隊を保持する。
普段の瞳は鈍い琥珀色だが超直感や感情が高ぶると黄金に変わる。
「ローデリヒ・エーデルシュタイン」
エーデルシュタイン家現当主。護衛部隊、小隊長。ギルベルトの従兄弟。『運命の子』であるギルベルトと『強化人間』のエリザベータに挟まれつつもマイペースに過ごす。
父親がサディクと面識があったため予期せずヘーテルヴァーリ家の遺産も加わりその管理に手を追う。趣味はお菓子作りで毎朝ピアノを弾くのが日課。
「エリザベータ・ヘーテルヴァーリ」
護衛部隊、小隊長。ヘーテルヴァーリ家によって生み出された強化人間。当時は能力が乏しくなく失敗作とされたが軍学校時代にその能力が開放されている。
銀の子より劣るが通常の人間の倍の力を持つ。サディクに暗殺者として育てられるがローデリヒの元へ従属することとなり本人はそのことについて異論はない。
初めてローデリヒを見たとき自分の理想の王子様だったため色々とローデリヒに弱いところがある乙女である。
「サディク・アドナン」
病床の父親を殺し即位した兄を義と民衆の力で失脚させ、スルタンとなった。『大条例』を管理する一族でかつて禁忌を犯したヘーテルヴァーリ家を粛清した人物である。
幼少の菊達にある日助けられ、その慈悲と菊の姿に惚れ込んでおり(崇拝に近い)個人的な交流を交わす仲に。
口数少なくことあるごとに反抗気味な、色のない『運命の子』を従える。
「フェリシアーノ・ヴァルガス」
護衛部隊、小隊長。大君主ローマの孫で皇帝になるはずだったがまだ幼かったためロヴィーノと共に幽閉されていた。
かつての臣下からプロイツェン王国の金の子暗殺を条件に開放されるはずだったが暗殺が失敗し菊の元で過ごすことに。
金の子だが菊よりも超直感に優れ頻繁に予知夢を見る。
ローマ帝国にある旧文明の巨大遺産の起動キーとなる等、謎が多い。
「ロヴィーノ・ヴァルガス」
フェリシアーノの兄。なんでもそつなく熟す弟を口では妬みつつも誇りとしている。フェリシアーノの能力が暴走した際の制止役。
色のない『運命の子』。フェリシアーノの小隊に組する分隊長。
「フランシス・ボヌフォア」
護衛部隊、小隊長。ギルベルト達と軍学校時代の友人。料理は趣味だったがギルベルト達の事情を知り将来の菊の味覚をあんじて料理の修行に出る。
行く先々で色恋沙汰を起こしつつも腕を磨き一流の料理人へ。現在は日々の仕事をこなしつつも菊の故郷である極東の料理の研究をしている。
2018/09/21(金) 01:42 護衛騎士と主君 PERMALINK COM(0)
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