護衛騎士と主君/第一節「絶望と出会いと」続き
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「まったく本当に信じられないわ!!私たちに何の相談もなく騎士団長をいきなり辞めるなんて、あの馬鹿!!」
美しく磨かれた調度品が並べられている廊下を軍服に身を包んだ女性が憤怒の形相を隠さず歩いていく。
「・・・エリザベータ、静かになさい。お上品ではありませんよ」
その女性に引き離されつつもゆっくりとした歩みを崩さず眼鏡をかけた男が声かけると、前を歩いていた女性ーエリザベータは立ち止まりくるりと振り返った。
「ローデリヒさんは何とも思わないんですか?!」
「私も思うところは大いにあります。ですからこうして貴方と一緒にあのお馬鹿さんの屋敷にきているのではありませんか」
「あの無表情面に一発、ぶん殴ってやります!!」
エリザベータの言葉に二人を案内していた使用人がびくり、と身を震わせる。
「・・・程々に。お上品にお願いします」
程なくしてたどり着いた部屋の前で使用人は軽く会釈をしてその場を離れ、エリザベータが扉を三度叩いた。
「・・・入れ」
重厚な扉一枚隔てた向こうから予想していたとおりの感情のない返事に、エリザベータは勢いよく扉を開け中へ入ると右腕を大きく振りかぶりながら目標へと駆けた。
「このお馬鹿さん!あんた一体なに考え・・・て・・・?」
そして予想しない光景に右手をあげたままエリザベータが硬直する。
「・・・ええええええっ!?」
「黙れ。菊様の耳が腐る」
目の前には自分たちの幼なじみであるギルベルトが無表情を貼り付けた”いつも”の顔のまま赤子を抱いて揺れていた。エリザベートの叫び声に赤子ではなくギルベルトの眉間に皺が寄る。
「はぁ?ちょっと??赤ん坊!?・・・え?あ、衝撃のあまりローデリヒさん呼吸が止まってる!!」
信じられない光景を前に己の見間違えではないか、ローデリヒを伺えば彼は扉から数歩部屋に入った場所で身体を硬直していた。エリザベータが慌てて側に寄り手をかざしても反応がなく、少しの逡巡のあとローデリヒの腹を殴る。
「げほっ・・・エリザベータ、貴方も淑女なら・・・もう少し加減というものを・・・」
「す、すみません。ローデリヒさん!」
端から見れば何かの演芸のように見える光景に、ギルベルトは穏やかな時間が騒々しく変わることにため息をついた。
来客用のテーブルへローデリヒとエリザベータが席に着くと使用人がワゴンを引いてやってくる。目の前に出された珈琲を一口飲みようやく落ち着きを取り戻したローデリヒが口を開いた。
「・・・それで、その赤子が貴方が突然騎士団を去った理由なのですか?」
かちゃり、とゆっくりとカップを置きギルベルトの腕に抱かれた赤子を見つめる。目の前のこの幼なじみは小さい頃から騎士一筋で生きてきた。たとえ肉親を失おうとも、その顔から感情が消え失せようともただただ己の夢見た景色のためだけに歩んでいたはずだった。それが一ヶ月前に突然”都合により辞任”し自分たちの前から姿をぱたりと消した先がこれである。
「正確には団長の責務だけだ。騎士団には所属している」
「あんた結婚相手も恋人も居ないはずじゃ・・・まさか遊び相手にできちゃった子?!」
「・・・エリザベータ、少しお静かに。先ほどその赤子の名をおっしゃっていましたが、伺っても?」
エリザベータの茶々にギルベルトがじとりと睨みつける。騎士団長時代やその前からもギルベルトは女遊びもなく体調管理(溜まったとき)以外は娼館へは行かなかったのをエリザベータもよく知っていたはずだ。バイルシュミット家の兄弟親戚で赤子がいたという話も聞いていない。ましてやエーデルシュタイン家とバイルシュミット家は親戚同士である。
だがギルベルトが最初に呟いた赤子の名前に既視感を覚えていた。自分たちの名よりも短い名を極東国で聞くが最近、我が国で何度も耳にしているものと同じ名で。
「・・・第十三王子、菊様だ。正式な名はクリュザンテーメ。知っているだろう」
「・・・・・・」
ギルベルトから語られた赤子の名に沈黙する。疑問が解消したと思えば新しい疑問が次から次へと出てきて思考はそれどころではない。ローデリヒの記憶が正しければ二ヶ月前に生まれたばかりの王子が何故ギルベルトと共にいるのか。口数の少ないギルベルトの言葉の中で与えられる情報を整理し推測する。
「南方男爵に目を付けられていた。あのまま古都にいれば殺されていただろうな」
古都。ギルベルトが口にした場所は彼が一ヶ月前の視察任務での行き先であった。ならば菊王子とはそこで出会い「保護」したのか。南方男爵については色々と噂が絶えない下劣な人物だったのを記憶して、ギルベルトの彼らしからぬ行為に納得がいく。
「王は後継に興味も示さず、王妃も亡くなられて後ろ盾がない・・・まさか貴方がなるおつもりですか?」
「護衛騎士として傍に使える。それだけだ」
「護衛騎士・・・」
果たしてこの状況を護衛と言えるのだろうか。端から見ればどこからどう見ても育児である。ギルベルトの突拍子がないところは昔から”こうなった”今も変わらず周りを悩ませる。ローデリヒはめまいを覚え手を当てため息をついた。
「すでに書類は提出し受理されている。何の問題もない
「問題大ありよっ!!」
それまで自分たちの会話を黙って聞いていたエリザベータが叫ぶ。
「あんた、あんた何でっ・・・あんなに夢見た団長をこんなあっさり捨てるのよっ!!」
「・・・エリザベータ」
ローデリヒの制止の言葉をそのままにエリザベータはその身に携える長剣を引き抜きギルベルトへと向ける。
「答えなさい。ギルベルト・バイルシュミット。生半可な理由だったらその首を落とすわ」
「・・・・・・」
騎士に憧れていたギルベルトに巻き込まれるようにローデリヒとエリザベートも騎士となった。そのことに後悔はない。だが幼い頃にあんなにも目を輝かせ夢や騎士伝を語っていた”あの頃の彼”への思いは、目の前の赤子で全て消されて良いものではなかったのだ。
睨みつけてくるエリザベータの目をギルベルトはまっすぐ見据える。
「・・・あの場所にはなにもなかった・・・なにも。人々の歓声は雑音で名誉も栄光もただの飾りでしかない。あの場所が映すものは、「なにもなかった」」
そうしてギルベルトはゆっくりと目を閉じ、再び開いた瞼の先の赤子を穏やかに見つめた。
「・・・その赤子に貴方が求めていたものがあると?」
ローデリヒの問いには答えずギルベルトは赤子の頬を指で触れる。ギルベルトの小指ほどにしかない手がしっかりとその指を掴むと、赤子は嬉しいのか言葉にならない声を漏らした。
赤子を見つめるギルベルトの目が穏やかに細められているように見えて、彼がこの選択を選んで失ったものに未練がないことを悟った。ギルベルトの答えとその様子にエリザベータは剣を鞘に納め、天井を仰ぐ。
「・・・あんたってば、ほんと・・・本当に馬鹿で不器用だわ」 ぽつりと呟かれた言葉をギルベルトはただ静かに受け止める。
「いくら歴史長いバイルシュミット家でもそれだけでは心許ないでしょう。これから王位継承に名乗りを上げるのならば、なおさらーー」
「菊様をこの国の王にするつもりはない。それに瞳を見ろ」
ギルベルトがローデリヒに近寄りその腕に抱く赤子をつついて瞳を開けさせれば、まばゆいばかりの黄金の瞳がギルベルト達を映した。
「金・・・色・・・うそ、金の子?!」
「・・・・・・なるほど。運命の子では王位継承権を持てませんか」
この国に古くから伝わる逸話により王族・貴族に生まれた「運命(さだめ)の子」は国王やその家の当主に着くことはできない。幸か不幸か、末席に生まれたこの赤子が王位継承で争いに巻き込まれることはないだろう。だが「運命の子」として狙われることがないとも限らない。
「ギルベルト、エーデルシュタイン家も加わりましょう。由緒ある格式の高い我が家ならば文句を言うお馬鹿さんはいませんでしょうし」
「ローデリヒさん本気ですかっ!?」
「ええ、本気です」
「金の子」である菊王子と「銀の子」のギルベルト。その二人がどんな数奇な巡り合わせか、共にあるこの状況が昨日までいた自分の世界より色鮮やかに見える。
「私もこの国の未来を考えず私腹を肥やすだけの輩を守る日々に嫌気がさしてきましたので。この子が映す未来になにが見えるのか、楽しみです」
ギルベルトが感じたものがローデリヒにも共感されたのか、はたまたギルベルトと赤子の強烈な姿を最初に目撃したときから頭が飛んでしまっていたのか。
それでも弱者から平穏を奪い、一部の権力者達だけが安穏をただ享受しているこの現状に比べればこの小さな存在に賭けて見るのも面白いだろう。ローデリヒの唇が上がる。
「あああもうっ!!ローデリヒさんが行くなら私も行かざるを得ないじゃないですか!!騎士が・・・騎士が王族の子育てとか前代未聞ですよ?!そもそもギルベルトの時点でそれどころじゃなかった!!金と銀の運命の子が並ぶとか!!」
エリザベータの大声に吃驚したのか赤子が泣き出すと、ギルベルトが鬼の形相で彼女を睨みつけるがエリザベータは意にも関せずぶつぶつと唱えている。
「では決まりですね。護衛部隊・・・団の方が宜しいでしょうか。王国へ設立許可の書簡をすぐに作成します。ギルベルト、ペンと書類は何処です?」
こうなるとエリザベータは長いのでローデリヒは適当に流すことにしていた。誰にもなにも告げずに去った幼なじみは一人でこの王子を護ると決めたのだろう。提出した書類の変更と「第十三王子」ならびに「金の子」のために護衛部隊では心許なく、非常勤の騎士を入れて百人規模の護衛が必要だ。ベルを鳴らして使用人を呼び、蝋印と一式を持ってこさせる。
「ーー・・・・・感謝する」
泣きやんだ菊をあやしながらギルベルトがぽつりと呟く。
「明日は槍が降らないことを祈ります」
「私はなーんにも聞こえなかったわ」
幼なじみである自分たち二人になにも告げず一度は去ってしまったこのお馬鹿さんには、これくらい言ってもいいだろう。
明日から変わる日々を思い描いて、ローデリヒは小さく笑った。